待ち合わせは苦手だ。
先に到着して待つのも何だか恥ずかしい。
かといって遅れて到着するのも相手に対して失礼だ。
一番いいタイミングを探しているうちに待ち合わせ場所に到着していた。
約束の時間の15分前。
明らかに早すぎたが、相手に対して失礼になるよりはずっといいはず。
朝から雨が降っているせいか、湿度で髪の毛がべったりしている。せっかく決めてきたヘアスタイルも、ただでさえ多い頭皮の油分と相まって台無しになってしまった。
ショーウィンドーを鏡代わりにヘアスタイルを面倒くさそうに、しかしその割には丁寧に再構築していく。
ショーウィンドー越しに映る自分の姿が、少しだけ若く見える。佇む中年の哀愁は相変わらずであるが、こと今日に関しては意中の女性と食事できるという嬉しさで、その哀愁すら霞んで見える。年の離れた女性と待ち合わせをしているという現実と、ショーウィンドーに映る中年の姿があまりにも不釣り合いで、なんだか滑稽にすら思える。
雨といえば、そう。司法試験だ。司法試験が実施される5月は天気が崩れることも多かった。あれだけ日常と化していた司法試験の記憶も次第に過去の物になりつつある。
雨の中、うつむき加減に待っていると、新調したスラックスのポケットからofficial髭ダンディズムの「pretender」が元気よく鳴り出した。中年にしては若作りした選曲のため、周囲の視線に戸惑いながらも、慌ててスマートフォンを取り出す。
使い込まれた中国製スマートフォンの画面には「ごめんなさい。少しだけ遅れそうです。」とだけ表示されていた。
コンビニエンスストアの陳列棚のように無機質に並べられた文字に一瞬不安を覚えた。しかし、若い世代の絵文字文化は廃れつつあると聞いたことがある。相手の女性はあまり絵文字というものを使わないかもしれないし、急いでいるのだからむしろ自然だ。
この鈍色の空の下始まるかもしれないラブ・ストーリーの予感を前にして、そんな不安など取るに足りないことに思えた。私の頭の中はこれから訪れるであろう幸福な時間への期待と一握の下心でパンパンに膨張していた。
私の中に芽生えた感覚は
「悪くない」。
そんな感覚を下支えするのは男性としての下劣な欲情なのかもしれない。一握に思えた下心が突如として暴走を始める。アルバイトの際に、垣間見えた相手の下着の紐の鮮やかな色彩が頭の中を駆け巡るが、己の拳を割れんばかり握りしめて汚れた欲を制圧した。
純粋な気持ちで相手に接しなければならない。こんな攻防に何の意味があるというのだ。
私は恋をしているのだ。
そして改めて思うのだ。この一瞬一瞬が悪くないと。
そんな熾烈な内的攻防を繰り返している時だった。
自信なさげに佇む中年の視界に、高級デパートで拵えたと思われる比較的新しいパンプスが映り込んだ。つま先には小さなリボンが添えられ、高貴な雰囲気を醸し出している。
恐るおそる視線を上げると、そこには藍色の傘の花が一凛咲いていた。