人の気持ちは生き物のようだ。
毎日毎日、とういうより瞬間瞬間で形を変えていく。
今日の朝は晩御飯ラーメン食いたいと思っていたのに、昼には牛丼食いたいなとか思ってる。
そんな小さなレベルの思考ですら揺れ動く。
司法試験に対する思いなんてその最たるもので。
過去の八神の記事を見返すと、もう受験なんてしないとか、やっぱり情熱が込み上げてきた、だの。
半世紀近く生きてきたのに、気持ちをコントロールするのもおぼつかない。
気持ちなんて一貫してなくて当たり前だと思う。
司法試験を撤退する際に、どうのこうのグルグル考える。
逆に司法試験を続ける際にもグルグル考える。
対外的に説明がつくように。
自分自身に辻褄が合うように。
しかし、対外的にと言っても、一体誰に説明するというのか。
別に人の人生に外野がとやかく言う理由なんて無いし、それ自体筋違いだ。
だから、要は思うように生きたらいい。
今に忠実でいい。
瞬間瞬間の気持ちに従って人生を軌道修正をすること自体恥ずべきことじゃない。
むしろ瞬間瞬間の気持ちに従う其方のスピード感は人生を有効活用しているよね。
気持ちの変化ごとに、いちいち体のいい説明をつけてたんじゃそのタイムラグが勿体ない。
変化して、変化に応じる。
それでいい。
説明なんて後からだ。
思いのままに生きるってそういうもんじゃないかしら。