時は平成16年。
司法改革の目玉として導入されたロースクール。
私はロースクールが導入されて初期の方で入学した。
ロースクールは基本的に、法律科目を勉強していない法学未修者コースと、法律科目を勉強してきた法学既修者コースに分けられる。
前者の法学未修者コースが3年。後者の法学既修者コースが2年。それぞれ履修期間が定められており、修了したものだけに新司法試験の「受験資格」が与えられた。
私はロースクール入学前に旧司法試験を受験していたが、腰を据えて法律の勉強をしようと思い、某ロースクールの法学未修者コースを選択した。
当時は「ロースクールバブル」とか「新司法試験バブル」といわれ、全国に70以上のロースクールが濫立した時代であった。
テレビや新聞で、ロースクールに行けば8割新司法試験に合格する、と誤った報道もされており(政府が8割合格と謳った手前、当時は誤りとも断言できないが)、どこのロースクールの倍率もそれなりに高かった。
そんなバブルといった状況下で入学した私は、当初から8割合格には懐疑的だった。
旧司法試験と同様、自分なりに勉強量は確保しようと思い、この未修者コースで3年かけてじっくり勉強した。
大学卒業後、ブランクを経て新たにロースクールに入学するのはとても新鮮であった。
ゼミで答練したり、チームを組んで教えあったり。司法試験は半ば孤独になりがちだが、ロースクールの仲間のおかげで、3年間充実した大学院生活を送った。
私が初めて新司法試験を受験したのは、初期の新司法試験であり、あまり世間に対策法が確立されていなかった。
大手の予備校でさえ、三者三様。旧司法試験のようにガチガチの論証ブロックを推奨しているところさえあった。
私は、未修コース修了後、3回連続で新司法試験を受験。
結果は3回連続不合格。
所謂、司法試験業界でいうところの「三振」というやつだ。
三振は、司法試験受験生にとって最も恐れるところであり、ある意味社会的な死を意味していた。
今ではロースクール修了後、5回受験できるように制度が緩和されたが、当時は5年以内に3回しか受験できず、3回不合格となると、受験資格が剥奪された。
新司法試験もフタを開けると、合格率は2~3割を推移し、毎年私のように不幸な「三振者」が量産されるといった、悲惨な有様であった。
私も三振後、何をしてよいか分からず、途方に暮れた。
これからどのように生活していけばいいか。何もかもが嫌になった。
しかし、あるきっかけで、もう一度司法試験にチャレンジすることにした。
当時、予備試験導入の噂が広まっており、予備試験が導入されるまで待つか迷ったが、もはや私にはその時間すら惜しく感じた。
幸運にも、某ロースクールの授業料全額免除で特待として合格できた。
そこで、再起を誓い、某ロースクール既習コースで、再び2年間のロースクール生活を送ることになる。
この2年間は、以前の未修コースと異なり、人を近づけないオーラでそれこそ孤独に我武者羅に勉強した。
年齢的にも、もう後が無いと思っていた。
あっという間に2年間は終わり、既修者コースを修了。幸い授業料は2年間かからず、経済的ダメージは最小限で済んだ。
しかし、本当の不幸はここからだった。
既習コース終了時点で、私の勉強歴は旧司法試験時代も含めると10年を超えていた。
もはや「ベテラン」とか「ベテ」と呼ばれる勉強歴である。
大手予備校の模擬試験でもそれなりに結果を出し、挑んだ新司法試験。
結果は不合格。不合格。不合格。不合格。。。。。。。。そして「不合格」。
5回連続の不合格。
日本で最速の八振だったと聞いている。
もはや私には何も残っていなかった。
出るはずの涙すら出なかった。
悔しくもなく、悲しくもなく、言葉を凌駕した感情だった。
人も遠ざけるように勉強していたため、仲間すら失った。
人、金、職、全てを失った。
それでも、私は今生きてこうしてブログを書いている。
私を救ったのはブログかもしれない。
何かあなた達に伝えられることがあるかもしれない。
司法試験じゃなくても、他の資格試験、大学受験、高校受験、それぞれに失敗し、生きる気力さえ失いそうになった時、私のブログを見てもらいたい。
それでも、私は生きている。
司法試験のブログは世の中に沢山あるが、不合格者のブログは極めて数が少ない。
また、更新頻度も低い。
中には、途中で頓挫し、そのまま放置されているブログもある。
まるで時が止まったかのように。
私は、このブログを通じてあなた達に不合格後の世界を見てもらいたい。
ロースクールが導入された当時、司法業界はにわかに騒がしかった。
裁判員制度の導入も当時は同時並行で進んでおり、司法制度改革真っ最中という感じだった。
そんな司法業界のロースクールバブルに伴い、ロースクール制度導入後、数多の大学がロースクールを設置した。正直、旧司法試験で結果を挙げていないような、聞いたことのない大学も多数ロースクールを設置し、受験者はそんな大学でも法曹になれるものと信じ、手元にあるわずかな金を握りしめてロースクールの門をたたいた。
私もその一人であった。
ロースクールに行けば弁護士になれる。そう夢見ていた。
だが現実は違っていた。
今考えるとこの選択は正しくなかった。
現状を見れば結果は明らかである。
私の知る限り、私は日本記録保持者である。
日本最速での2回失権。つまり八振。
私は八振にちなんで、八神と名乗ることにした。
八神の誕生である。