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承認欲求と自己肯定感

メンタル

昔から人に認められたいという思いがあった。

今風にいえば「承認欲求」とでもいうのだろうか。

弁護士になりたいと思ったのも、司法試験を受験し続けたのも、この思いを実現したかったからだろう。

そしてこの他者から認められたいという承認欲求は、社会的に承認された自分を好きになるという自己肯定感にもリンクしてくる。承認欲求と自己肯定感が相乗し、内面とても満ち足りた気分になる。この相互作用がとても厄介だ。

私も学生時代にこれと同様の体験をした。

優良な成績を残せば、他の生徒や教師から一目置かれ、第三者から承認された優越感で得も言われぬ自己陶酔に陥った。この麻薬に似た中毒性のある感覚は病みつきになる。

とりわけ私の場合、「承認欲求」と「自己肯定感」が直結していたため、どちらも満たさないと良い気分になれないという面倒くさい質であった。

私の中で承認欲求を満たす代表格が、弁護士であり司法試験突破であった。とてもわかりやすくて古臭い権威主義的な思想だ。

現実には承認欲求も満たされず、自己肯定感も低迷したまま、死に体として生きている。

消化試合の人生である。

しかし、ピッチャーは失点後の投球が最も大切といわれる。

失点し明らかに大敗が予想される試合展開でも、自分なりのベストを尽くす。

その美学は、無失点の完全試合よりさらに深みがあるのではないか。

今、私が何故アルバイトを続けているか疑問に思う人も沢山いると思う。実際、今でも予備試験受験や司法書士を勧められることもある。

しかし、私はこの禊期間をある試みととらえている。

承認欲求と自己肯定感を切断するという試みである。

社会的な評価などどうでもよい。この境地に至り、承認欲求を放棄してもなお、自己肯定感を獲得できるようになれば、真の意味で幸せになれるのではないか。

私の人生の主眼は目下、内心満ち足りた状態で生涯を終えることである。

年齢を重ねるにつれ、司法試験から離て禊生活を重ねるにつれ、その深淵の先を見てみたいと思えてきた。

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